心身一元論 ~ココロとカラダはひとつ~

東洋医学では、心と身体はひとつのものと考えられています。多くの方がより生きやすくなる発信をしていきます。

好きで好きに好かれる方法を書く

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今私は大学の試験勉強に追われている。かなり切羽詰まっているような書きようだが、そうでもない。その証拠に、この記事を書いているのだから。本当に切羽詰まっていたり、成績を取りたいのならば、記事は書かない。

 

 

だが、その試験で結果を出したい自分もいた。

 

 

私は効率のいい勉強をし、あまり時間を使わず、単位を取ることを得意とする学生だ。一部の人からすれば、それは聞こえがいいが、私はそうは思わないし、多くの人が良いとは思わないだろう。

 

大学の授業、勉強が社会に出てから役に立たない、仕事ができる人間が社会で勝つ、大学では自分の熱中できることを見つけて、それに没頭しろ、熱い恋愛をしろなどなどが言われている。

 

いろいろあるが、私は自分の熱中できることを様々に見つけた。教育とテニスだ。恋愛だって今している真っ最中。付き合って半年以上経つ彼女がいる。

 

大好きな彼女だ。別に人から大恋愛をしろという教えから恋愛をしているわけではない。本当に好きだし、彼女からしたら、私と付き合うメリットは正直ないと思う。彼女は聡明であるし、顔立ちも整っていて魅力的だ。否の打ちどころがない。

 

 

彼女を好きになったのは、大学受験浪人中にしていた、とあるバイトで初めて会ったときからだ。

 

初めて見たときは、時が止まった。今でも鮮明に覚えている。

 

浪人という、いわゆる俗世から外れた生き方、生活をしていたあの時、彼女を見たとき、中学生のときに付き合っていた、また別の女性のことを思い出した。そのときも大恋愛をした。好きになるタイプというのは、そのとき大火傷をしたのに変わっていないらしい。

 

 

 

人を好きになるということを、物心つく前から実は知っていた。行く場所行く場所で、私は誰かに必ず好かれる。

 

 

私の母はありがたいことに、世間でいう教育熱心な母だった(これがまた、私の性格を捻じ曲げてしまう一つの要因になるのだが、その話はまた後日)。私に英才教育を受けさせようとした。

 

それは母自身が生きたかった人生でもある。

 

私に母の人生を歩ませようとしたのだ。まだ物心もつかないときから、英会話教室、エレクトーン教室に通わせた。通信でベネッセの教材も取り寄せていた。行く教室では私は必ず異性の子に好かれた。

 

私は人から好かれる方法というのも幼いなりに知っていた。

 

でもそれは、とても残酷で、醜いのかもしれない。容姿だ。

 

 

私の幼い時は、エレベーターで一緒になった人、クリーニング屋のおばちゃん、道で歩いている人、マンションですれちがった知らないおばあさん、ありとあらゆる人からお菓子をもらったものだった。

 

 

 

中学2年生くらいまでは容姿だけで人から好かれることができる。だが、だんだんと人は賢くなる。人それぞれだが、中学3年生からは人の中身が大事だと気付き、そちらの方に着目するようになる。

 

美女と野獣のカップルができるようになるのは、高校生くらいからというのが、私の生きてきた経験則だ。もちろん中身もあって、容姿も良い男は好かれやすい。

 

だが、容姿はさほど重要じゃなくなる。清潔感があればいい。ある程度のお洒落、臭くない、髪型が整っている、髭が生えていないなど一緒にいて違和感を感じなければいいのだ。

 

問題は中身なのだ。

 

なにもない人は、なにかをして埋めようとする。勉強、財力、実績、キャリア、話題作りなど。たしかにそれで、培うものはある。だが、それは自分にはなにもないというコンプレックス、一種の恐怖に突き動かされている。

 

 

人の心をわし掴みにするコツは、信頼と愛嬌があることだと思う。

 

 

この人は言ってることが正しい、信じられるなあ。この人はどこか、ほっておけないどことない可愛さがあるなあ。それさえ与えることができたなら、人に好かれることはまず間違いない。

 

 

では信頼と愛嬌をどう手に入れるか。

 

 

まずは自分を知ってもらう。

 

自分がなにをしてきたか、なにをしているのか、なにが好き、なにが嫌い、なにに重きを置いているのかなど、交流を深めていく。

 

 

そして嘘はつかない。

 

嘘をつくと、バレるまでか自分が諦めるまで、嘘をつき続けることとなる。嘘をつくと、どんな人でも必ず疑わしい雰囲気や表情、なんとも言えない間ができる。人は明確にではないにせよ、どこかで感じ取る。

 

 

自信を持つこと。

 

なよなよしていたり、おどおどしていたり、声が小さい、愛想笑いが絶えないと、その人を信じることができない。本人は気付かなくても、やられればわかる。信じられない。堂々と発言、行動をすることだ。

 

 

自分の弱さを見せる。

 

たまに自分の弱さを見せることで、相手に信用していることをアピールできる。人には必ず弱いところがあることを誰もが知っているが、その弱みというのは見せたくないものだし、人の弱みを見ようとすべきでもない。

 

だからこそ、弱みを見せるというのは、特別なことだ。秘密の話にしても、それを知られてはまずいことだから、自分の弱みでもある。そしてほっておけなくなる。弱みを見せ続けて、めんどくさい人間になれば愛想を尽かされるのだが。

 

要はバランスだ。ギャップとして弱みを持っていることで、好かれる場合がよくある。

 

強そうなあの人が、実は弱いところがある。守ってあげなきゃ。

という具合に、無意識に働いたりする。

 

強者がモテるのは、自然界を見てもわかることなのだが、強者としてモテたあとの話で、相手との信頼を気付くうえで重要なことが弱みだ。

 

 

 

そして人に好かれる一番重要なことは、

 

興味関心を相手に向けることだ。

 

相手に興味を示し、話を聞く。意欲的に聞く。相手が話したいことを話させてあげる。これがかなり相手の心を開き、相手との距離を縮める最善策だ。たとえば相手の興味関心のあることで、アドバイスを受け、即実行する。

 

そうすると、相手は自分が教えたことで、その人が動いたことに感動する。その人がかわいくなる。もうこれであなたの虜である。とにかく聞いてあげる。逆にその人のために動いてあげることも、また距離を縮める方法だ。あなたに興味がありますよ、と言っているようなものなのだから。

 

 

私の昔話をつれづれと書いたあとに、人に好かれる方法を書いてみた。

 

では、ありがとうございました。